4人兄弟の生存競争
私は4人兄弟の3番目だ。
兄と姉、妹がいる。
兄弟が多ければ、小さい頃から食べ物の争奪戦だ。
もたもたしていたら、好きなものはおろか、食べることすらできない。
そんな過酷な生存競争の中で私は育った。
兄は長男のため母に溺愛されていたし、末っ子の妹もまた、優先的に食べ物をもらえていた。
そのため、姉と私の二人は、兄と妹の好きを狙って、食べ物にありついていた。
特に私は、赤ん坊の頃から食欲旺盛だったそうだ。
ミルクも人一倍飲んでいたらしく、2歳ごろに兄弟と撮った写真を見ると、一人哺乳瓶を抱えてミルクを飲んでいるのが写っている。
食事やおやつも兄や姉の分も隙を見ては食べていた。
そんな食欲旺盛だった私は、小さい頃から縦にも横にも大きい子供に育った。
2歳違いの姉とは全く体格が違い、お下がりの服など着れなかったため、親にも迷惑をかけただろう。
子供の頃から剣道を習っていて、汗をかく運動はしてきたが、それ以上に食べていたためか、痩せることなく成長していった。
両親も、そんな私に「痩せろ」とか「食べ過ぎだ」などという注意をすることなく、逆によく食べる子だと喜んでいたので、私もそれでいいと思っていた。
思春期を迎えて
そんな私も、中学生になり思春期を迎えた。
食欲は子供の頃から変わらず、身長も高かったが、はっきり言って肥満だった。
中学でも剣道は続けていたが、部活の後の食欲は半端なく、毎日の運動もダイエットにはならなかった。
年頃になったこともあり、「痩せたい」と思うようにもなった。
何度かダイエットをしようと試みたことはあったが、自分では食べないでおこうと思っても、食卓に並ぶ食事や、母が準備したおやつを見ると、食欲が抑えられずに食べてしまう。
それでもその頃は毎日部活動をしていたので、食べる割には太らずに済んでいたと思う。
そんな私も、年頃になると気になる男の子だってできた。
少しでも気を引くために痩せたいと思い、食事制限をしたことも何度かある。
しかし無理な食事制限はかえって食欲を増進させてしまい、結局リバウンドして元に戻るということの繰り返しだった。
田舎から離れて
私は高校を卒業すると、親元を離れて大阪の看護学校に入った。
看護師になるための勉強は大変だった。
実習と学科の両立だ。
ストレスと忙しさから、私は一時とても痩せた。
と言っても元々が太っていたので、極端に細くなったわけではなく、ぽっちゃりしているという程度だったと思うが、私の人生の中では一番痩せていた時期だ。
親元を離れたため、母のボリュームある食事からも解放されたことも要因のひとつだ。
看護師の仕事というのは、意外と力仕事が多く、体力勝負という面がある。
かつ私は、自分で料理をしたりするのが面倒なタイプだったので、食事の量も親元にいた時より少なくなっていた。
近くに叔母がいたため、時々訪ねては美味しいものを食べさせてもらっていたが、専門学校時代の3年間は、それまでの18年とは全く違う食生活と忙しさから、痩せるのは当然と言えるものだった。
もしもあの時のような食生活を続けていれば、きっと今も痩せていたに違いないと思う。
しかし現実はそうはならなかった。
社会人になって
専門学校が修了すると、私は国家試験を受けて看護師となった。
仕事は学生時代よりもハードなものだったが、学生時代と違い、自分でお給料をもらうようになったことで、好きなものが好きなだけ食べられるようになった。
学生時代は、忙しさだけではなく、仕送りでの生活だったため、生活費を抑えるために食事も制限できていたが、自分で稼いだお金なのだから、好きに使おうと思った私は、それまで我慢していた食事にお金を使うようになったのだ。
さらに看護師という仕事は時間が不規則である。
朝早かったり、夜遅かったり、お昼の時間も一定ではない。
そんな不規則な生活だから、食事も不規則になるのは当然のことだ。
さらに仕事のストレスは学生時代のものとは比にならないほどだった。
ストレスの捌け口が食事や間食だった私は、当然のことだが、以前のように太っていった。
太っていくことは気になったが、体力勝負の看護師という仕事では、無理なダイエットをすると仕事での体力がもたなくなる。
結局働き始めて1年もすると、高校時代と同じような体型に戻ってしまった。
その後ダイエットをすることもなく、太ったままだったが、幸いそんな私でもいいという男性と出会い結婚し子供も3人できた。
私も主人も食べることが大好きなため、結局今も痩せることができていない。
しかし40歳を過ぎ、将来の健康を考えると、このままでは行けないのではないかと、最近は真剣にダイエットしようかと思っている。
一度できた脂肪細胞は、決して減ることはないという。
果たしてできるかどうかは全く自信がないが、とりあえず考えてみよう。
hdsv著